神奈川県小田原市/家づくりパートナー・三心NEWS
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カテゴリ:○社長が語る富士山物語( 13 )
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2013年 08月 09日 |
富士山物語 建物- Ⅰ 章 - PART1

「社長が語る富士山物語」からちょっとご無沙汰いたしました。
造成までの道のりを熱く語らせていただきましたが、ついに、建物編へすすみます。

以前の書き込みでもお知らせいたしましたが、小田原市板橋字富士山、小田原では『知る人ぞ知る』有名な高級分譲地です。中でも中腹の南斜面は、眺望・景観に優れた『富士山高級分譲地』の代名詞とも言える地域ですが、弊社は幸運にもこの地域に約200坪の土地を入手できました。
東に小田原大橋を見下ろし、その先は相模灘。南の清流早川は、鮎釣りのメッカ、後ろに太閤一夜城で有名な石垣山を配し、西に天下の険である箱根山を望みます。
これぞ180度のパノラマ!これだけの条件は限られたこの一区域のみなのです。
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造成工事は、その景観を意識して南ひな段に造りました。
※造成の道のりは、「社長が語る富士山物語」をご参照ください。
このパノラマを眺めながら、『ここに2区画の高級住宅を建てる!』と頭の中では様々なプランが交差するのです。

建物建築で大事なことは、陽当たりや風の通り道を確保、湿気が留まらない流れを近隣環境にマッチさせて、中から外への景色、外から見える建ち姿、機能的で動きやすい動線、何よりもここに住まわれる方のライフスタイルをカタチに・・・ おっと。まだ、決まってなかった・・・。
では、将来の変化に対応出来るカタチをふまえて、最初のご提案を。

◆平屋に見える建物は、実は【2階建て】で、1階はRC(鉄筋コンクリート)造の地階。
北側以外の三方は開放され、陽当たり、通風、景観ともにバッチリです。
RC造ならではの約22畳の大空間は贅沢にワンルームで。
家族の成長に合わせて、間仕切りは自由自在に。
開放的な南掃き出し窓からインナーテラスに出れば、たっぷりリゾート気分。
広い庭には、季節の花々が咲き、その先には180度の大パノラマだ!

◆2階部分は木造で厳かな平屋造り
北側5mの道路からたっぷり4台分の駐車場スペース。それほど必要なければ庭にしましょう。
広々とした吹き抜けの玄関のすぐ横は、シューズクローク(納戸としても可)を。
大きなLDKは20畳ほどで、ここもなんと吹き抜け!
4.5畳の和室は、LDKと続きの間、もちろん床の間と押入がある本格派。
LDKからは、12畳のロフト(洋間)見えます。もちろんそこへ上がる階段は常設で。
洗面所は広々と。オリジナル洗面台には引き出し付きの収納がたっぷり。

◆そうそう、この家は『お風呂からの提案』だった。
では、『魅惑の展望バスルーム』のご提案!
お風呂を【景観最高の南側バルコニー】に配置しましょう。
広々空間で、ガラス越しに防水スピーカー付TVもつけましょう。
遠くの海を眺めながら、のびのびお風呂に浸かって下さい。
浴槽は【世界初のソフト浴槽】で、ソファーに寝転びながらのTVって感じで。
休憩場はキッチンに繋がっているから、風呂上がりにキンキンに冷えたビールをぐいっと・・・。
・・・お風呂にいる時間が長くなっても、いいじゃないですか。

さてさて、どうでしょう?
イメージが伝わりましたでしょうか?
それでは、プランの発表です!!
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西側の区画にお客様が・・・
この提案を気に入っていただけたら・・・。

次回からは、西側のお客様が建てる建物をご紹介します。

現在の技術を駆使して建てる、安全、安心の建物
           富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・

そのへんのところを、乞うご期待。
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2012年 01月 18日 |
ようやく、両袖の『コンクリート擁壁工事』が完成しました。
やっと、真ん中に集中していた土が整地できます。

今は、かまぼこを斜めに置いたような状態だった土を両袖まで広げると、スキージャンプ台のようで、『こんなに広かったんだ〜』という感じです。狭いところで大きな構造物を造るのはなかなか大変で、作業効率は悪いし、しんどいし、たまりません!しかし、それからようやく開放された瞬間は、ハ〜〜〜ッと思わずもれちゃいます。

整地後に始める工事は、南側の土留工事で、その工法は「間知石積擁壁」です。道路の脇に斜めに積んであるのをよく見かけるでしょ?あれです。
土地の有効面積は減りますが、L型擁壁に比べ工事費は抑えられます。何よりも直立の崖と比べ斜めに石を積むので、目から入る空間が恐怖感を和らげます。それは毎日の生活の中で、ちょっと大切なことなのですよ。

その為には、できるだけ土の見える部分を広くする必要があります。実際の石は、1m下の地中から積まれているのですが、人は目から入る情報で判断します。土が広く見えると、人には優しく感じられるものなのです。そんなことまで考えて工事を施工する僕たちって、ちょっと偉いでしょ。

その前に西側の『U型階段』を南側に伸ばすのですがなぜでしょうか。答えは、階段手摺りを高くし、「間知石積擁壁」にかぶせる土の勾配を穏やかにするためです。この土の勾配がきついと、安心感を得られないのです。(良く考えるでしょ〜?)

さて、「間知石積擁壁」を施工するには、まず改良した地盤面から更に施工地盤までの土を改良して高さを調整し、コンクリート基礎を施工してから石を積み始めます。基礎の上に斜めに石を設置し、一列に並べ、その30cmほど後ろに石の高さまで採石を入れて、その隙間に石の高さ半分ほどまでコンクリートを流し込むのです。そして次の一列を積み、同じ工程で高さ4m以上まで繰り返し、最上部に天端石(てんばいし)を積み、コンクリートを打設し石を抑えると「間知石積擁壁」の完成です。

土を整地し完成した庭の部分から眺める海は、それは素晴らしく、思わず見とれてしまいます。この景色を眺めながら、ここの住まわれる方にもこの感動を味わっていただきたいと、情熱を込めた仕事ができるのです。

ここまで出来上がれば、あとは細かな残工事です。
とは、言っても結構施工量はあるのですが、とりあえず危険な工事は完了しました〜!
これからは、お化粧みたいな工事を施工するのですよ〜。

次回は、『造成工事のお化粧』実務編です。
富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・
その辺のところを、「乞う、ご期待。」
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2011年 12月 21日 |
 今回施工する『コンクリート擁壁工事』は、大きく分けると二種類です。
ひとつは、現場の高低差を解消する『L型擁壁』で、崖の最端部に設置するものです。
もうひとつは、隣地の境界に設置する『U型擁壁』で、『階段や歩道』を兼ねるものですが、前記の『L型擁壁』を守る役目もします。

 高低差の激しい土留工事の工法で「コンクリート擁壁」は大変有効ですが、高さに比例して工事費が大きくなることは前回お話いたしましたが、その比例の大きさは5mを超えると急激になりますので、L型擁壁の高さを5m以下に抑える必要があります。
 そのためには、隣地から30度の安定勾配の高さに、ラップルコンクリート(改良した地盤の上にコンクリートで箱状に高くするもの)で、5m以下のL型擁壁になるまで施工地点を高くし、安定勾配で生じた崖を処理する『U型擁壁』を隣地より低い地点まで施工することで、隣地境界を侵害することなく雨の日でも安心な構造物が出来上がります。

 実際の工事は、前述とは逆で、低いところから工事を施工します。
と、いうことは、隣地との境界に『U型擁壁』を施工し、ラップルコンクリートで高くした工事地盤から『L型擁壁』を施工することになります。
 そして、またまた、土の処理を考えなくてはなりません。
現場の最下部と同レベルの隣地、その高さから約50cm低い構造物を施工するには、隣地より80cm低い位置まで掘らなくてはならないということで・・・構造物の幅が1.4mで仮枠を施工するには約1m必要で・・・その地点から土が崩れないように掘るには・・・えええぇ〜いっ!面倒だ!030.gif山止め(土が崩れないように柵を)かけちゃえ!!
 と、いうことで、安全に『U型擁壁』工事を施工しましたが、工事個所は山止めの下約3m、材料を運ぶのも道具を取りに行くのも体力勝負066.gif・・・いや〜〜〜、時間もかかる!

 『U型擁壁』が完了し、山止めを外し、埋め戻し工事を完了させ、ラップルコンクリートの打設をするためには、またまた土の処理を考えなくてはなりません。
埋め戻しで余った土を掻き上げ、そこに山止めをかけ、その高低差は約5mに・・・。
またまた体力勝負066.gif・・・いくら、ポンプ車で打設するからって、とほほ・・・042.gifつらいなぁ〜〜

 やっと『L型擁壁』高低差は2m以下、なだらかに傾斜をつけて現場に行けます。
しかも高さ5m以下、鉄筋も13mmのダブル筋、運搬も加工も楽なもんです。
これで、東側と西側の『コンクリート擁壁工事』をやっつけました。

次は、西側の『U型擁壁』を、南側に伸ばすのですが・・・。なぜかな〜???

次回は、『南側の擁壁工事』実務編です。
富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・
その辺のところを、「乞う、ご期待。」
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2011年 11月 30日 |
 前回『地盤改良工事』が完了し、いよいよ『コンクリート擁壁工事』です。

この現場の高低差は、上の道路から下の道路まで約15mですから、地下室の4mを差し引いても約11mです。
 『土留工事』の工法には何種類かありまして、大きく分けると「コンクリート擁壁」「石積擁壁」、そして「植生」の3種類です。「植生」とは、ゴルフ場などで使用される工法です(芝など植物で土留めをします)。
 宅地造成工事では、コンクリート擁壁と石積擁壁がほとんでです。両工法とも一長一短がありまして、コンクリート擁壁は工事費用が大きくなり、石積擁壁は工事面積が大きくなるので完成した宅地部分の面積が減ってしまうという点があります。この点を加味して、ここ富士山の現場では、両方の工法を取り入れています。工事量の多い両サイドをコンクリート擁壁とし、工事量の少ない部分は石積擁壁で施工します。

 まず、両サイドに、下の道に通じる『階段通路』を施工し、隣地との縁を切ります。次に、改良した地盤の上にラップルコン(支持地盤が直接基礎にするにはやや深く、杭基礎にするには浅すぎる場合、支持地盤まで掘削して軟弱土層を処分し、そのかわりにコンクリートを流し込む工法)を打設し、コンクリート擁壁高を5m以下に設定します。
 ・・・なぜ5m以下なのか?それは、「石積擁壁」の高さは5m以上は認められないからなのです。更に高さ5m以上になるとコンクリート擁壁の工事はかなりUPしてしまうのです。

 両サイドのコンクリート擁壁工事が完了し、下の道路から3m高い位置で「石積擁壁工事」を施工します。そして、2宅地の高低差を解消する土留コンクリート擁壁工事を施工し、完成です!!

 まぁ、簡単に説明すると、こんなもんで〜たいしたことはない・・・042.gif
しかし、実際にそれを説明通り施工するのは、それはそれは大変なことなんです。
崖のような傾斜地で工事の一工程の度に土を動かし、崩れそうな場合は山止め工事をして、材料や道具の搬入はなんと人力!例えば、砕石を工事場所に運ぶだけでも、パワーショベルを3台も据え付け、バケツリレーのごとく運ばなければならないのです。
全ての材料と道具の運搬がこの調子ですからネ、しかも、工程ごとに動かす土と、パワーショベルの移動先を、さながらパズルのように考え考え行わなければ、『離れ小島に取り残された〜〜』なんてね・・・。
それも、足場の悪い15mの傾斜地で行う作業ですよっ!想像してみて下さい〜〜〜039.gif体力勝負!066.gif

 なぜ、そんなにまでして造るのか?
現場を見ればおわかりいただけるでしょう。完成した姿を想像すれば、解りますから!
★★★『夢の様な生活』を現実に造れるのですから★★★

次回は、いよいよ『コンクリート擁壁工事』実務編です。
富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・
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2011年 11月 16日 |
前回の『仮設工事』から少し時間が空いてしまいまして、申し訳ございません。このところ現場が立て込んでいて大変な思いをしていますが、頑張ります。

 仮設工事は、本工事を安全に行うための準備工事であることは、前回お話をいたしました。これから行う『地盤改良工事』は、大変危険な工事です。
 通常の『地盤改良工事』は、平坦な土地に建物を建築するための工事ですが、今回は、土留めコンクリート擁壁工事を施工するための準備工事です。コンクリートは木材に比べ比重が大きいため、同じ面積でも重量に大きな違いが出ます。その重量のあるコンクリート擁壁を支える地盤に求められるものは、
  ①自沈せずに自立していること
  ②雨水を含んだ土の圧力に耐えること
  ③土の流動を抑えること
などですが、その役目を果たすために必要な地盤の地耐力は、30cm四方で15トン以上です。二階建て木造住宅建築に必要な地耐力は3トン以上ですから、なんと5倍以上の地耐力を必要とするのです。

 地盤改良が必要な場所は、当然に敷地の最下点で、道路より10m以上も下なのです!しかも、その改良の深さは約8m、地表から深さ8mまでの土を全て出して改良剤と混ぜ、その土を戻しながら30cmごとに転圧(1tの振動ローラーで圧をかけます)をするのです。土は莫大な量になるし、作業場所は限られ、しかも傾斜地での作業です!その怖さといったら大変なもので、○○○が縮みあがります。
 何たって、地盤の悪い20m地下で作業するのですから、気持ちが悪くなるわけです。地上で改良剤を混ぜているパワーシャベルの振動が下まで伝わり、掘り進めた周りの土がパラパラと落ちてくるし、見上げた時の怖さときたら・・・たまりません。本当に。上の作業者に思わず『止めてっ!』と叫んじゃいます。

 恐怖と闘いながら、何とか敷地の三方の地盤改良をしました。もし、15t以上の地耐力が出なければ、工事はやり直しです!それが解っているだけに、仕事は丁寧にやりましたが、さて、いよいよ地盤強度の試験です。
 15tの重機の下に30cm四方の試験板を置き、ジャッキをセットして機械を取り付けて圧力をかけ、一昼夜おきます。もしも、2cm以上沈下していたら、アウトです!!眠れぬ夜を過ごした翌日のその結果は、『4mm』の沈下だけ!(どうだぁ〜!!)
 25t以上の地耐力を確保しました。(誰かじゃないけど、自分で自分を褒めてあげたい)これで、安心してコンクリート擁壁工事に入れます。

 次回はいよいよ『コンクリート擁壁工事』です。
富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・
その辺のところを、「乞う、ご期待。」
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2011年 10月 19日 |
危険の伴う造成工事で、『仮設工事』の役割は大変に大きなものです。
人命に関わることですから、当然といえば、しごく当然のことなのですが、安全を重視して工事費が莫大になれば『出来上がった製品=分譲地』の価格に跳ね返ります。『経費を抑えつつ安全性を落とさない』ものが最高で、その見極めには『物質の特性』を理解し、『経験に裏付けられた判断力』が必要となります。
山や傾斜地を得意とする弊社は、独自で編み出した独特の工法を有しています。手前味噌ですが、『社長自ら現場に出ている』からこそ出来るものだと自負しています。そうでなければ、10日かかる作業が3日で終わるはずがありません。

土をいじくる仕事で、雨は大敵です。
草に覆われていることで保っていたバランスを崩し、土をむき出しにするのですから、大雨が降れば土は流れ出します。水を含んだ土の力は大変なもので、一旦流れ出したら止めることは不可能に近く、自然に任せる他はなすすべが無いのかもしれません。
自然の猛威には『人は無力』なのかもしれませんが、英知有る人間は『土が流れない状態にすればよい』ことに気づき、その研究をしました。土の特性、山止めをするための材料の特性、土に水を含ませない方法、そのほかにも工事に必要な条件をクリアーする工法を考え、採用し、はじめて本格的な工事に入れるのです。それが、仮設の工事の中の、雨が降っても土を流動させない工事、すなわち『山止めの工事』です。

仮設工事をなめてはいけませんよ。
つい最近のことですが、小田原市城山で推定150坪の土地に建物を建築する工事が行われていましたが、これも推定ですが仮設山止め工事だけで2億円ちかく費用がかかっていると思われます。それが本体の建築工事に上乗せされるのですから、莫大な金額です。
仮設工事は本体工事を施工するための工事で、本体工事が完成されたときは見えなくなってしまいます。そこに莫大な費用はかけたくないけれど工事の安全を考えると仕方がない・・・(大変だぁ〜)
それを解決する『安くて安全な仮設工事』を確立した三心はすごいと自分で褒めちゃいます。

さて、次回は『地盤改良工事』です。
富士山に建つ『暮クラージュ趣の家』 自然との共生・・・
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2011年 10月 05日 |
 平成23年7月6日、大安の火曜日。晴天で爽やかな風のそよぐ穏やかな日です。
この好日は、わたしたち(株)三心が『小田原市板橋字富士山』の造成工事に乗り込む日なのです。気を引き締め、身震いする緊張感に体が熱くなります。
 それと言うのも、歴史有る高級分譲地『富士山』、その中でも、南傾斜で、東に太平洋・相模灘に映る小田原大橋を見下ろし、南の早川越しに太閤一夜城で有名な石垣山を眺め、西に天下の険箱根山を望むという、素晴らしい眺望が開けているのは、これから手がけるこの一区域だけなのです。その場所に、二区画の高級住宅を建てるのですが、、今日のこの感覚は、『二度と手に入らない最高の材料に、最高の細工を施すために職人が初めてノミを入れる時の感覚』に似ているのかもしれません。
 研ぎ澄まされた感覚に震える魂は、武者震いか、この造成の難しさを知る者だけが感じるものかもしれませんが、針の穴でも一発で通す自信が漲る緊張感の中で、細心の注意を払い大型パワーショベルと中型パワーショベルを現場に降ろします。

 北側の4m道路脇に3mほどの空き地があり、その先はいきなり高低差15mの崖が始まり、途中の10m付近が本現場の最下点です。景色の良さに似合わぬ地勢で、30度以上の傾斜地は重機を降ろすだけでも大変です。バケットをスキーのストックの様に使いながら滑らせていき、途中にあるコブに中型重機をひっかけ、仮のステージを造ります。
 やっと、安定した重機で本格的なステージと走行用の道を造り、大型の重機を降ろします。安心する間もなく、雨で土が流れないよう土留め工事が必要で、もちろん、空き地を拡幅し仮の駐車場確保もしなくてはなりません。
 こうした仮設工事は、確実性と迅速性が要求されるのです。ましてや、このような傾斜地では雨が降る前に勝負しなくてはなりません。
 通常1週間かけるところを3日で行う『土との格闘』に勝利して、一安心です。

次回からは、現在の技術を駆使して建てる<安全・安心の建物>
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2011年 09月 14日 |
『小田原市板橋字富士山』この地名は、豊臣秀吉の小田原北条攻めの時には名付けられていたと言うことは、それ以前の何時代か?
はっきり言って分かりませんでした。色々調べましたが、明確な記述は御座いません。

そもそも『富士山』と呼ぶのですから『日本一の富士山』を調べるべきでしょう。
元々自然崇拝の『山の神』は、円錐形の山に降臨するとされてきました。
『山の神』を信仰する修験道の中に、富士山を神格化する富士信仰の講集団がありまして、彼らも富士講(浅間講)と名乗っていました。
『浅間神社』(せんげんしんじゃ・あさまじんじゃ)に祀られる浅間大神は、記紀神話に現れる木花咲那姫命(このはなのさくやひめ)と見て、これを祀る神社です。
『山の神』は日本全国に1300社ほど鎮座していますが、中には木花咲那姫命の父神大山祇神や、姉神磐長姫神を主祭神とするところもありますが、どこも山容は富士山麗に似ている地、もしくは富士山が見える地に多く存在します。

『小田原市板橋字富士山』も独立した円錐形の小山です。
富士信仰=浅間(仙元)信仰が流行した頃は、この形状の山は、神が降臨した地とみなされ神聖視されていました。 事実、山頂付近には『浅間社』が祀られています。

 これは私の思いですが、
『浅間社』が祀られている山に、秋葉大権現を勧誘したことになりますが、富士信仰と秋葉信仰と間で、摩擦はなかったのだろうか?
山頂に祀られている『浅間社』を、現在も秋葉信仰が守っているのはなぜだろうか?
同じ山岳信仰を目指す者同士の、絆のせいだろうか?
現代人の私としては、両社で摩擦が生じるのが当り前で、『秋葉さん、後は宜しく』とした富士信仰は凄いし、『富士さん、後は任せて』と、現在まで続ける秋葉さんも凄い。
『小田原市板橋字富士山』とは、こんなにも凄い歴史を経てきた処なのですね・・・
歴史だけでは無く『富士山』は、環境、景観、自然、等々、それは素晴らしい処ですよ~

次回からは、現在の技術を駆使して建てる、安全、安心の建物、
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2011年 09月 12日 |
豊臣秀吉『最後の大戦』である『小田原攻め』で、小田原市板橋字富士山を制し、陣を張ったのが細川忠興です。
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<勝竜寺城公園内に立てられた細川忠興と玉(ガラシャ)の像>

あの明智光秀の娘である玉子(細川ガラシャ)を正室とし、足利義昭、小田信長、豊臣秀吉、徳川家康と、時の有力者に仕え、キリシタン大名としても有名な武将ですが、細川総理大臣を輩出した九州の肥後細川家、その基礎を築いた武将です。

この富士山は円錐型の地形で、頂上近くは切り立っていますから、守るに安く攻めるに難しいとされます。
小田原城御鐘ノ台から稜線上を連絡できるため、その頂上には堀がほられ、小田原城の出城として築かれた『松山の砦』と呼ばれる城館には、兵士が配されていました。
秀吉の命により、これを攻める細川忠興は、昼は守りに徹し、城館から出て細川陣営に攻めて来る城兵を防ぎ、夜は城館に夜襲をかけることに徹し、それを何度も繰り返し、相当の日数をかけて城館を破る事が出来たと『松窓漫録』に記されています。
細川忠興が砦を破った後、そこに張った郭(曲輪)陣跡が今も残っています。

当時の北条氏は、東は千葉県、埼玉県、北は山梨県、西は静岡県東部にまで領土を広げていましたが、秀吉軍の圧倒的な軍備に押され、その領土は徐々に狭まりました。
だんだんと外部との連絡は絶たれ、小田原城は籠城となります。
籠城した小田原北条軍は兵糧攻めに遭い、結局は開城して降伏をすることとなるのです。
籠城した北条軍が行った軍議を、堂々巡りをして『結論の出ない会議』と称し、今でも『小田原評定』と呼ぶようになったとか・・・地元人としては、あまり嬉しくない。

 すでにこの頃には、『小田原市板橋字富士山』と呼ばれていたのです。
と、言うことは、それ以前に付けられた地名となります。
それは、安土桃山時代か? それとも室町時代になるのか?
戦国の夢は破れた・・・て、感じです。

 次回は、富士山の謎・・・『乞う、ご期待』
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2011年 09月 09日 |
時は戦国時代、豊臣秀吉『最後の大戦』が、小田原北条攻めです。
1590年、当時の都である京都に上洛し西日本を平定した豊臣秀吉、その天下統一を阻むために最後まで対立していたのが、関東の覇者たる北条氏でした。

d0162700_1202182.jpg関八州240万石を治めた大大名の北条氏、当時の小田原城主は北条氏政(左の画像)・氏直親子で、東北の雄である伊達正宗とは同盟関係でした。
地元の歴史研究家の中には、北条と伊達の結びつきに、大きく関係していたのが『歌舞伎の市川団十郎と、ういろうの薬売りである。』と、唱える方もいらっしゃいます。
確かに、国境の取り締まりが特に厳しい頃ですが『歌舞伎と薬売り』なら、その取り締まりでも、とがめられることは無いと思います。
なにせ、市川団十郎(ある記述では30年ほど時代がずれる)は全国的な大スターですから、どこでも地方公演ができたでしょう。薬のういろうも全国的なヒット商品ですから、その薬売り(店売りだけだった、との説もある)なら、どこに行けても不思議はないですネ。
d0162700_1321194.jpgもし、市川団十郎とういろうを、『間者として』全国からの情報を集めていたとしたら面白い、当時の小田原北条氏だけに、なるほど、と思わせちゃうのでしょう。
北条と同盟関係にある伊達正宗が、豊臣秀吉からの『小田原攻め参戦』に対する再三の呼び出しにも応えなかったのは、『北条の次は俺か…』との思いも有ったでしょうし、『北条が立てば俺も立つぞ!』の思いもあったのでは・・・
『如何せん21万の敵ではどうにもならん』と、思ったかどうか、参戦しました。
その時の衣裳が死装束だった、としたのはNHK大河ドラマで、かなり有名です。

豊臣秀吉が、全国の大名を従えての『小田原攻め』は、その総数21万人(推定)とか。
これだけの人数と、それに見合う武器弾薬を揃え、石垣山に一夜城を築き、腰を据えて取り組む用意周到さから考えると、そこからも小田原北条氏の大きさがうかがえます。
その関東の雄と東北の雄が手を結び、他国からの侵略を防いでいたのですから大変です。
100カ所に及ぶ城々に兵を籠らせ籠城作戦に出る北条氏、それに対し、一つ一つの城を大群で包囲をして攻める秀吉軍。 時の勢いの違いか・・・
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